海外の登山を読む
フリーの真髄
海津正彦
1960年代だったと思う、日本の登山誌が、チェコスロヴァキアのクライミングを紹介したことがある。急峻な砂岩の岩壁に、フリークライミングの技術を駆使して、アクロバチックな登攀を展開している様子が、写真を交えて掲載してあった。その後、70年代?にイギリスの山岳誌、MOUNTAIN も、チェコスロヴァキアのフリークライミング事情を、たしか、紹介していた。しかし、当時は山の高さと、岩場の大きさが絶対の時代だったため、それらの記事は、余り注目されなかった。

それが、ここにきて ALPINIST No.6(Spring 2004) が、チェコ北部で1977年におこなわれた初登攀を取り上げている。「ザ・カラマルカ・アレート」がそれで、記事の著者は初登攀者の一人、イゴール・コラー。イゴールはパートナーとともに、高さ60メートルの砂岩塔の初登攀をめざして、麓の町、テプリーツにやってきた。予定は2日。辺りには同じような岩塔が、1500本余り屹立している。

初日、目星を付けておいた岩塔の1P目を試登した。持っているギアは、ロープ2本に、太いスリングが数本、カラビナが数枚、ハンマーとワイヤーブラシが1丁ずつ、それに無骨なボルトキットにリング付きの鉄の楔が2本、ただそれだけ。2人は、比較的易しい下部3分の1を試登したあと、いったん町に引き揚げた。

パブで夜を過ごした翌日、いよいよ完登をめざして登攀を再開した。

この岩塔(アレート)は、写真を見ると分かるのだが、腹(ベリー)と呼ばれる小ハングを重ねながら、上へ上へ伸び上がっていくので、その腹(ベリー)の乗越がポイントになる。

そういう難所を、水蝕で形成されたポケットやクラック、横並びのポケット同士が奥で繋がってできた岩穴=砂時計、小さなフレーク、岩の角など、自然が作った特徴を利用して、2人は少しずつ高度を上げていく。

プロテクションもまた、そういう特徴を利用して、シュリンゲの瘤を挟み込んだり、シュリンゲを掛け回したりするだけ、という貧弱さなので、リーダーはしばしば、行きつ戻りつしながら、自分の技量と、岩の要求しているものを秤に掛け、自信を蓄えてから、思い切って登って行く。だから時間がかかるけれど、そこにはクライマーと岩との真剣な対話がある。

ビレーポイントに至ると、ようやく、柔らかい岩を少しばかり削って、リングと呼ばれる、リング付きの鉄の楔を打ち込むのだが、クライマーたちは「岩を痛めつけない。冷たい鉄で岩を辱めない。仕方なく、岩にリング用の穴を穿つときでも、それがブレスレットとなって岩の美しさが増すように・・・・・・、と考える」のだそうだ。

そのようにしてイゴールたちは、60メートルの美しい砂岩塔をリング2本で完登した。難度はデシマルで5.10d。

イゴールは、この初登攀を「アルプスの高所の初登攀と交換してくれると言っても、ごめん被る」と言う。「なぜなら、私は、自分のクライミング体験の中で、この登攀に最も強く心を動かされたから」---。

たまたま、対岸の岩場にいたクライマーが撮影したという登攀風景の写真も、当時のクライミングシューズやギア類の写真も、岩塔群の全景を写した写真も、すべてモノクロで、美しい。素朴なギア類が想像を掻き立てる。

ALPINIST が、この記事を、今、取り上げたのは、勿論 編集長のクリスチャン・ベックウイッズの判断だろう。AAJの編集長を長らく務めた彼は、独特の嗅覚を働かせて、フリークライミングの原点を再検証し、そこからアルパイン・クライミングの行く末を探ろうとしているのだろう(じつは、ボヘミア北部のこの岩塔群は、エルベ河畔にあり、数10キロくだれば、フリークライミング発祥の地の一つとされる、ドレースデン近郊のエルベ河畔砂岩塔群となり、両者には共通の登攀倫理が古くから行き渡っているのだそうだ)。


[写真キャプション]
ALPINIST No.6から。

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