葉留日野山荘 四季便り
マリリン・モンローのスカートを捲り上げた地下鉄のマンホールをご存知だと思う。雪埋もれた山荘の廊下は真暗になる。その明かり採りに雪面から窓まで掘り下げた穴が、このマンホールにそっくりなのである。

反対に2階の屋根の端には冠雪(キノコ雪)ができる。春先に落下するこの大雪塊は、コンクリートほどに固いから、直撃されたら命はない。屋根上の積雪は下層が氷化して、氷河のようにずり下がりながら、三角屋根の縁を壊していく。山荘を増築した当時は、上高地の帝国ホテルのようだなどと言われて喜んでいたのだが、とんでもない厄介者になってしまった。春になると、壊れた三角屋根の縁から雨漏りがはじまる。その修理も年中行事のひとつである。

この屋根を葺いた板金屋さんも、急傾斜の屋根を怖がって修理をやりたがらないので、スキー指導員のIさんがやってくれる(労山のクライマーで手伝ってくださる有志はいらっしゃらないだろうか)。

温泉棟の高い屋根の庇には、マンモスの牙のようなツララが何十本も垂れ下がる。直径15センチ、長さは1メートル半はある。幸いに大きな窓ガラスを破られたことはなく、落ちたツララを拾ってきたお客様がオンザロックにして楽しんでいる。ところが、曲り屋の庇から垂れたツララが2階の便所の外壁を突き破って、便室内に転げ込んできたのには吃驚した。

山荘に来た看護婦さんが「手指の間からサラサラとこぼれるような雪」と表現した良質の雪も、遊ぶのにはよいが、いろいろと悪さをする。

昨年の正月、食堂でお客様とコンサートを楽しんでいたちょうどその頃、庭の一隅の鶏小屋(旧山羊小屋なので大きい)ではチャボが全部(10数羽)殺されていた。鶏のけたたましい悲鳴も、雪がすっかり消してしまったようだ。――どこにも隙間がないのに、誰にやられたのだろうか。やっと分ったのは、藁が積んであった小屋の裏側の、ほんの4センチほどの隙間と、鶏の死骸の様子からテンの仕業だということだ。周りは深い雪なので、1日そのままにしておいたら、あっという間に死骸は消えてしまった。こんどはキツネの群れの仕業だ。

雪が気負い込んで降っている時期というのは、手がつけられない。しかし、2月も末になって「死に雪」になると、ときどき大雪はあっても、先が見えてきて一息つけるのである。

そして春になると、さしもの雪も跡形もなく消えうせて、雪をあっちへ運び、こっちへ移動した、あの労働は何だったのかということになる。氷を凶器にした推理小説では、犯行後、氷は融けて何の証拠も残らない。あれだけの労働の結果は、雪とともに完全に消失してしまうのだ。労働もさることながら、貴重な、貴重な時間を、何カ月も空費させられたことへの空しさがやりきれない。

(高橋伸行)

葉留日野山荘は「勤労者の立場に立ったレクリエーション活動」を登山やスキーを柱に展開する拠点として、30年前に労山や勤労者スキー協議会の有志の手で創建されました。全国連盟の役員を務めていた高橋伸行さんは、東京から山荘に移り住み、以来ずっと山荘を守っています。尾瀬と谷川岳に挟まれる位置にたつ山荘は、多く会員に愛されています。

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