ハイキングワールド
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山行中の突然死を予防する
堀井昌子
(日本登山医学研究会 / 日本山岳会医療委員、日本山岳協会医科学委員)
「山岳遭難過去最多 10年でほぼ2倍」---これは6月の新聞報道(警察庁発表)の見出しで、昨年の山岳遭難者1631人は1992年の倍であり、中高年者がこの75%を、さらに死亡・不明者242人の実に90%を占めているというものです。
文部科学省登山研修所の調査に基く推計によると、登山人口全体の増加もさることながら、40歳以上の中高年者の増加が著しく、1979年には36.1%であった登山人口に占める中高年登山者の割合が、現在は70%を超えている状況です。とは言え、死亡・不明者の90%が中高年者というのは由々しい事態と言わざるをえません。山で死なないために登山者ができることを考えましょう。

登山と遭難死
山岳遭難事故の要因は、警察庁によれば、上位から滑落、道迷い、転倒、転落、病気で、これら5つの要因で85%を占めます。そして、山行中の病気で死に至ったケースは、いわゆる突然死の範疇に入るものが多いのです。「突然死」は「発症から24時間以内の予期しない内因性死亡」と定義されています。死亡までの時間が短いこと、"内因性" が殺人、事故、自殺、毒物死を除くという意味であることから、「医師にかかる前の病死」と言い換えると分かりやすいかもしれません。
わが国では、100人の死亡のうち4〜5人がこの突然死にあたり、男性は女性の2倍で、50歳代から70歳代にピークがあります。臨床的な診断では、原因は心臓病が最も多く53%前後、脳卒中が35%前後とされ、いずれも血管の病気です。

運動中の突然死
突然死を起こした場所・状況に関するある調査によると、大部分は屋内で、約15%が屋外で起こっています。また、安静時・活動時に分けるとほぼ同数ですが、活動中に起こした人のうち運動(スポーツ)中であった人は、僅か4.4%と少ないのです。
しかし、全国規模の調査によると、やや古いものですが、1984年1月から5年間のスポーツ中の突然死は624件で7、8、10月に多く、約85%が男性です。種目別ではランニング161件(25.8%)、ゴルフ82件(13.4%)、水泳77件(12.3%)、ゲートボール41件(6.6%)、登山36件(5.8%)と、登山は5番目で、野球、体操、サッカー、スキー、テニスなどが続きます。
起こした時の運動量とは関連がなく、背景として、172件(27.4%)は高血圧、虚血性心疾患、心臓弁膜症、糖尿病などの既往がはっきりしていますが、62%の387件は、生前「自分は健康だ」と確信していたと報告されています。

登山中の突然死
1984年1月から5年間の登山中の突然死36件の内訳は、40歳以下では14件(4.3%)で、この比率は種目別で上位から7番目、40〜64歳では14件(7.0%)で4番目、65歳以上でも8件(8.2%)で4番目です。個々の事例についての詳細は不明ですが、登山者だけに特有な背景はないと思われます。ここで、最近の登山中の突然死事例について考察してみましょう。

<事例1> 65歳男。登山歴30年で定期健康診断でも異常を指摘されたことはない。梅雨の晴れ間に、歩き慣れた丹沢で登山中、2回目の休憩後に10分ほど歩き、崩れるように倒れて意識消失。麓の病院に収容された時はすでに死亡しており、検死の結果、脳梗塞と診断された。
<気の合った仲間との山行でストレスもなく、また食事を摂った後ではなかったのに発生した事例で、予測はきわめて困難。>


<事例2> 55歳男。6月の雨の中、沢を遡行(前夜出合付近で幕営)したが、ルートを失い稜線上でツエルトなしのビバークをし、翌朝5時に行動を開始したが、間もなく足元がおぼつかなくなり倒れた。同行者が助けを求め下山、16時頃、救助隊が到着し死亡が確認された。
<雨の中の沢登りの後、濡れたままツエルトなしのビバークで消耗していたとはいえ、この年齢で疲労のために死亡することは考え難く、何らかの基礎疾患があったものと思われる。>


<事例3> 63歳男。5月下旬、日帰り登山の下山途中に脚がつりはじめ、休み休み下っていたが、15時頃、足がもつれて倒れ、「胸が苦しい」と訴え、口から泡状のものを吐いて意識消失。救助を待つ間、心肺蘇生術がおこなわれ、ヘリで病院に搬送されたが死亡。
<登山中に脚がつることは、しばしば遭遇する症状であり、脱水が原因の一つであることは少なくない。虚血性心疾患のリスクファクターを持っている人であったら、脱水が血栓形成の引き金になった可能性を否定できない。>


<事例4> 70歳男。境界域高血圧と言われていた。5月に、麓の宿から登山口まで車で行き、登山開始約2時間後に突然身体を崩し「もうダメだ」と言って倒れこんだ。心肺蘇生術施行、ヘリで病院に収容されたが、死亡が確認され、急性心筋梗塞と診断された。
<高血圧は、虚血性心疾患の重要なリスクファクターであり、喫煙習慣、肥満を併せ持っていたら、心筋梗塞のリスクは数倍となるのである。>


<事例5> 60歳男。4〜5年前、労作性狭心症と診断され、内科的治療を受けて安定しており、主治医の許可を得て、軽い登山は続けていた。親睦登山の前夜、相当量飲酒し、睡眠不足のまま早朝に出発。2ピッチ登って朝食を摂った後、歩き始めて10分ほどして苦しいと言って倒れて意識消失。薬物、心肺蘇生術に反応せず、麓の町の病院での検死にて急性心筋梗塞と診断。
<主治医の許可を得ていた狭心症の人が、翌日の登山をキャンセルするつもりで飲酒したが、気が変わって睡眠不足のまま出発。食後の登高で、心臓に負担がかかったことが引き金になったものと思われる。>

突然死の背景と日常生活の注意
登山中の突然死も一般の突然死と同じく、死因は脳血管疾患、あるいは虚血性心疾患であると思われます。しかし、その背景をみると、他のスポーツの場合と同様、基礎疾患あるいはそれにつながる危険因子は、5例中3例には確認されていなかったようです。
これらの危険因子、すなわち高血圧、糖尿病、高脂血症、高尿酸血症、不整脈などは、定期的に健康診断を受けていれば容易に発見されるものです。登山者が高齢化しており、当然のこととして加齢に伴う血管の変化を持っていること、登山中に起こりうる身体的トラブルは、高度、天候などの影響を直接受けること、医療機関に容易につなげることができないなど、負の要因が大きいことを考えると、定期的なメデイカルチェックは不可欠です。
そして危険因子が発見されたら、それを是正すべく生活習慣の改善に心がけ、必要があれば治療をする、主治医とは連絡を密にして登山についても意見を聞く、服用中の薬に関して、他の薬との併用の可否、その他注意事項を確認することも必要です。

【山行中の注意】
<急性心筋梗塞>…突然起こることが多いが、狭心症があり、安定していたものが不安定になる、すなわち持続時間が20分以上と長くかつ強く、即効薬が効かない時は、心筋梗塞に移行する可能性が大きいので、安静を保ち、最短の時間・距離で医療機関へ。水分摂取は必要であるが、食べさせないほうがよい。
<脳血管疾患(脳卒中)>…一過性脳虚血発作が前兆であることが多い。めまい、目の前が暗くなった、片方の手や足に力が入らなくなったがすぐ戻った、足がもつれたなどの症状を軽視せずに、経過を観察して無理をしない。


最も多い2つの疾患について述べましたが、いずれも睡眠不足、脱水、過労、ストレス、下痢や嘔吐による電解質異常などが、発症の引き金になることを心に留めておいてください。
また、その場に居合わせたときのために、誰もが心肺蘇生術を会得しておく必要があることを強調したいと思います。

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