避難小屋のある山を訪ねて No.44 苗場山・小松原湿原
山スキーがきっかけで都職山の会(東京)に入った私が、2度目の山行として参加したのが「かぐら」スキー場から神楽ケ峰に登り、日陰山を越えて小松原を通過、そして津南スキー場にゴールインというコースだった。1日行程としてはかなりの長距離にもかかわらず、当会では大変な人気で、例年3月末から4月初めの定番コースとなっていた。私が初めて参加したのは、もう14年も前のことだが、当時も10人を超えるパーティだったと思う。

青空の下、真っ白な稜線を伝ってのシール登高。自分はいまスゴいことをやっているんだという感動と興奮のるつぼ状態だった。確かに、それまでろくに登山経験のない私には、間違いなく画期的な体験だったのだが。

しかし、鍛えが足りない私に、このコースはやはり厳しく、後半は小休止の度にへたり込んでいた。そんな状態で小松原の樹林帯を通過している時、突然、目の前に尖がった三角屋根の小松原避難小屋が現れた。周囲の雰囲気と相まったその佇まいが実にロマンチックで、私の心に忘れ難い存在として残ったのだった。

その後の山行でも、ただ通過するだけだったので、ぜひゆっくりと訪れてみたいと思い、釜川右俣を遡行してヤド沢から小松原湿原をめざす計画も立てたのだが、台風で中止になるなど実現できないでいた。

今年の6月、そんなことをふと思い出して訪れてみた。

しかし、秋山郷側の見倉から取り付いたところ、小松原の手前から、雪と中途半端に出かかった籔とで、ルートが分かりづらく一旦下山。翌日、大場集落から林道を辿り、ヤド沢源流からの登山道を行くことにした。こちらも残雪が多いが、木道がところどころ姿を見せているし、昨日のように籔に悩まされることもない。初めからこっちを行けばよかったと後悔する。

明るい日差しの中、尖がり屋根の小屋はすっかり全貌を現していた。私が思っていたよりずっと高く、2階建てで、赤茶色のトタンの屋根がそのまま横壁となっている。高い避雷針が印象的だ。入り口側と裏側の外壁は木板だが、その老朽ぶりが築後の年月の長さと、豪雪の厳しさを物語っているようだ。

太田新田から登ってきて、途中から合流した初老の男性の話では、10年ほど前にほんの少し移転したのだと言う。確かに正面の少し下が広場のように空いている。その広場の脇を小さな沢が流れており、言われてみれば、なるほどそっちの場所こそ私の記憶とも合致している。ただ、中里村役場によれば、移築の事実はなく、20数年前から同じ場所に建っているとのことだ。

帰りを急ぐ男性と別れ、小屋の中を覗く。手前が土間で、奥が6畳余りの大きさの板間になっている。真ん中に鉄棒製の梯子段が設置されており、2階に上がれる。上はもう一回り狭い。冬は2階の窓から出入りするしかあるまい。ただ、ヒマにまかせて小屋日誌を読んだ限りでは、春先の山スキー派くらいしか積雪期の利用はないようだが。また、地元の清津山の会(新潟県連盟)が、例年清掃のために訪れているともある。古いが清潔なゆえんか。

なお小屋にトイレはない。水は近くを流れる沢から得られる。

堀内 一昭
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