登っちまおう!
クスムカングル登攀記
宮本俊浩 (大阪ぽっぽ会)
パートナーは稜線への抜け口で手こずったが、いつものようにサッサとコルへと姿を消した。少し右側から後に続くと、思いの外雪が深い。傾斜も垂直に近く、アックスが決まらずグズグズしているとステップが崩れる。「オワァー」。---どうにか這い上がって冷や汗も引かずに息を切らせる私に「頂上はもうすぐだ。このまま登っちまおうぜ!」と声が飛ぶ。


ヒマラヤ登攀---それは山も知らずにカラパタールに登った95年のトレッキング以来の夢だった。メンバーは榊原義夫さん(カランクルン山の会、我高所登山の師匠)と杉山豊隆さん(大阪ぽっぽ会、我岩登りの師匠)との3人で、南東壁を登りに来た。珍しく順調な高度順化だと思ったが、順応登山のメラピークのハイキャンプ(5600メートル)では苦しくて食欲もなくなる。杉山さんの不調リタイヤ以来、榊原さんも具合が悪い。それでも、メラピークには11月11日、私はビタミンドリンクに頼り、榊原さんは座薬に頼るシャリバテふらふら状態で登頂した。

タンナでの13日は終日降雪。15日に5500メートルのC2で、初めてクスムカングルの南東壁が姿を現した。セラックだらけのデコボコ状態には唖然。翌16日、日の出直後の6時過ぎ、遅い出発となる。日の出を受けた岩壁は緩みだして落石が始まる。巨大な落石は氷雪壁を深くえぐり、ルートはときに垂壁に近く足の短い私には辛い。

いくつもの氷雪ヒダをトラバースし、III級程度のベルグラの岩を越えて10メートルほど下ると、コルへと続く「くの字」ルンゼに入った(おそらく南東壁の中間地点)。ツルツルの氷を登ると、息切れしそうなラッセルだ。ルンゼを寸断している大岩は、弱点を探すとやはりIII級でロープを出すこともなくクリア。

いよいよ稜線に向けてひと登りだ。榊原さんに続いて、その少しばかり右側にルートをとったのは我ながら失敗。ステップが崩れたときはキワドかった。コル着11時。榊原さんの言葉に、予定通りロープをフィックスして、翌早朝、完璧な装備でアタックしたいと主張はしたものの、現在の疲労、下降の消耗、明日の天気に加えて、夜間の下降も明るいので可能であることを考えると、気が変わって突撃に賛成。ひとつ言わせてもらえれば、もっと早く出発したかった。

コル(6000メートル)からは、95年の「山岳年鑑」の表紙にあった憧れの光景が眼下に広がっている。ピーク43から延びるギザギザの稜線に北にも南にも切れ落ちるフルートは鋭く荒々しく、遠くに鎮座するエベレスト、ローツェ、マカルー、チョー・オユーは誠に神々しい。

コルから大クレバスを北側に回りこむと傾斜が一層増し、2000メートル以上切れ落ちる60〜70度の北壁最上部を100メートルほど登攀して、13時過ぎに高度6200メートルになって視界が広がる。感動もピークだ。しかし、水平に40〜50メートルくらいのところにナイフリッジが続いている。主峰はそちらだろう。際どいトラバースはフリーで行けなくもないが満足だった。主峰よりも見た目10メートルほど低く、山岳年鑑に北峰と記されている頂だろう。

下見の装備でのロープも出さずじまいだった思わぬ登頂は、下着は1枚少なく、目出帽、ゴーグル、ビタミンドリンクも飯もなく、天気はよいのに誠に寒くて痛い登頂だった。山をはじめて7年目、ひとりで行って登れなかったデナリにタルプチュリ、ヤラピークなど、数々の無念が晴れるヒマラヤ登攀デビューだった。


11月1日〜4日/ルクラ〜タンナ(クスムカングルBC) 5日/クスムカングル南東壁C1往復 7日/カーレ(メラピークBC) 8〜9日/両日ともメラピークHC往復 10日/HC 11日/メラピーク登頂〜BC 12日/タンナへ 14日/クスムカングルC1 15日/C2 16日/クスムカングル登頂〜C2 17日/タンナ 18〜20日/タンナ〜ルクラ

個人装備/ハーネス、フィフィ、環付カラビナ2、ATC、ヘルメット、アックス2 共同装備/スノーバー4、スクリュー8、ロックピトン8、8ミリ50メートルロープ1、6ミリ50メートルロープ1、カラビナ約20、6ミリスリング約12。下降時2カ所でスノーバーを懸垂支点に使用。


[写真キャプション]
写真1:コルから北東方向。手前右のピークがクスムカングル東峰、左がピーク43、真ん中の遠景はマカルー。
写真2:頂上で大阪ぽっぽ会の旗を掲げる筆者。
写真3:きれそうな頂稜をバックに。パートナーの榊原さん。
写真4:クスムカングル南東壁。

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