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山行活動部 / 海外委員会
第14回 海外登山集会報告
第14回海外登山集会が、11月16-17の2日間にわたって、埼玉県さいたま市にて全国連盟主催、埼玉県連盟主管で行われた。
参加者は16県連盟78名の参加であった。

大澤埼玉県連理事長、野口全国連盟事務局長のあいさつの後、磯部海外委員の司会により集会は開始され、海外委員長の香取から基調報告が行われた。

続いての講演は大久保由美子氏により「飽くなき未来への挑戦」と題して行われた。
会員の遭難救助に出かけた後、自分の生活している場所との違和感から会社を辞め、BCマネージャーとしてエベレストへ出かける。今度は自身が登りたくなって、ついには8000m峰の無酸素登山に成功してしまう。その後もカナダの登山学校に入学したり、女性ペアでの登山を続けている内に、やはり1冊の本を読んだ事により再び勉強をしたくなり、現在は山を中断して大学院で学んでいるそうである。
病気になってからのマナスル登山隊への参加の経緯や、山で感じた事等、これまでの男性の講演者とはまた違う感性や自分の内面の変化との関わりで、山へ向き合う姿勢を語っていただいた。

登山隊報告は、単独会でのチョモランマを成功させた札幌の佐藤氏。チョーオユー全員登頂の後からチョモランマを狙っていたが、岳連隊のチョランマが出た為2002年としたこと、個人負担250万円と3ヶ月の休暇というハードルを越えて隊員を集めた苦労等が話された。72歳で女性の8000m峰最高齢記録となった内田敏子氏は、退職された6年前から海外の山への挑戦を始め、6000,7000mを経て念願のチューオユーを登れた喜びを話された。

2日目は、東京都連盟の石原氏によるタシカンI峰初登頂の報告、夏のネパールヒマラヤ通いの末に未踏峰の登山許可を取得した経過、中高年主体の登山隊故の苦労等が報告された。又来年もあまり日本人の入っていないドルポ地方に是非入りたいという抱負も語られ、ひと味違ったヒマラヤ遠征を今後も目指したいと報告を終えた。

登頂後に死亡遭難事故となった宇都宮労山の森氏は、自身も凍傷で入院中の中駆けつけ遭難時の詳しい様子を話された。会場からは順応の経過やアタック時のタクティクス、酸素や薬の準備状況といった質問がなされた。

最後の報告は全国連盟のK2,GI隊。長期の悪天に悩まされながらも、終始他隊に先駆けてC4までのルート工作をやりきったこと、欧米人の国際隊とのイザコザ、チベット隊やチェコ隊との交流の様子、悪天に捕まったアタック状況や、GII転進へ向かった後のHAJ隊の救助の様子が話された。また2004年に再々度の挑戦を行いたいとの決意表明が行われた。

この後、近藤海外委員からネパール観光省の新解禁峰、ネパール登山協会のトレッキングピークの新解禁峰について、いくつかの誤りも含めた詳しい解説が行われ、散会となった。