海外の登山を読む
議論は二の次
海津正彦
ネパール・ヒマラヤでこれまで懸案とされてきた難ルートが2本、昨年11月に相次いで初登攀された。

1本目はアンナプルナIII(7555メートル)南東稜。このルートについては、本誌1月号で紹介した、Alpinist 誌の「9つの究極の課題」が、真っ先に取り上げていた。以前このルートを試登したコンラッド・アンカーが、標高差2500メートルの「この素晴らしいルートは、それにふさわしい方法で登ってもらいたい。クライミングが、機械的な作業に堕したら、もはや技を発揮する余地がなくなる。技こそが、登山における美であり、私たちを惹き付ける」と言ったことも、そのとき紹介した。

だが、残念ながら、今回の初登攀は、完全なアルパインスタイルによるものではなかった。初登攀に成功したのは、イアン・パーネルとケントン・クールのイギリス人2人に、アメリカ人のジョン・ヴァルコーを加えた3人組(パーネル=クールのコンビは、2000年にマッキンリー山塊で空前の記録ラッシュが起きたときに、マウント・ハンターのムーンフラワー・バットレスをほぼフリーで登り切り、さらにマッキンリーのファーザー・アンド・サンズ・ウォールに標高差2000メートルの新ルートを拓いて話題となった)。

今回は、近くに高度順化に適当な山がないため、下部バットレスを登り降りして、5800メートル地点にABCを建設。そこで3晩過ごしたあと、いったんBCに下降し、頂上へ向かった。

ABCの上部、10ピッチの岩場は、完全にフリーでこなし、その先1000メートルの雪稜を2ビバークで切り抜けた。6800メートル地点で岩と氷がミックスした核心部が現れ、難しいクライミングが4ピッチつづいた。最上部で、ヴァルコーに肺水腫の症状が現れたが、それをなんとか凌いで、11月6日に全員登頂を果たした。下降に2日要して、9日目、無事BCに降り着いた。

もう1本は、ヌプツェ東峰(7804メートル)南東壁稜(ピラー)。こちらも、1986年にマーク・トワイトとジェフ・ロウが試登して頂上間近に迫って以来18年間、9パーティーを撥ね返してきた難ルートである。初登攀に成功したのは、ロシア人のヴァレリ・ババノフと、ユリ・コシェレンコの2人組。

ババノフは、2000年にカンテガ(6799メートル)北壁を単独初登攀し、その翌年にはインド・ガンゴトリ山域のバギラッティIII(通称シャークス・フィン 6310メートル)を単独初登攀して、今やロシアのエースと目されている。このヌプツェ東峰南東壁稜(ピラー)も、過去に2回試登している。02年に単独で試登したときには、ヌプツェ本峰の初登ルートで高所順化したあと、本格的なクライミングに入るつもりだったが、本峰の登山許可を持っていないということで、結局、目的のルートに固定ロープを張りながら登り、6300メートル地点から下山している。

今回、ババノフらは、ルートの下半の最も困難な部分(5・11 A3 斜度80°/85°)に固定ロープを張って6900メートル地点に達し、そこから頂上へ向かった。

露営用具は小型のビバークテントに、テントマット、ダウンジャケットにガスストーヴだけ。2日後に7450メートル地点に泊まり、さらに途中M4からM5の困難な個所を10ピッチ登って、11月2日に頂上に達した。ルート名は月光のソナタ。この成功に対して、それまでアルパインスタイルで同ルートの試登をくり返してきたアメリカ人クライマーたちから、登攀のスタイルの点で疑問視する声が出ている。

だが、ババノフは言う。「アルパインスタイルで登ったら確かに凄い。でも、時にもっと柔軟になる必要がある。私は自分の選んだ戦術が正しかったと確信している。このルートに対する戦術として適切だったと。私にとっては、登ることが第一で、議論は二の次」。

HIGH MOUNTAIN issue 255, Feb.2004
ROCK & ICE No.131, Mar.2004

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