談 根深誠(2)
森を返せ、水を返せ
青秋林道反対の声とは何だったのか
白神問題を論議するとき、青秋林道建設反対運動が果たした役割を無視できないのは、そこが出発点であり、諸問題を考えるヒントやカギが内包されているからだ。つまり、原点なのである。

青秋林道建設工事が大きく「中止」へと傾いたのは、87年10月半ばからの1カ月半だ。青秋林道建設に反対する連絡協議会(自然保護や山岳団体など10団体で83年4月に結成)が、観察会や写真展などでブナ林の大切さを市民に訴え、いくら両県や林野庁に林道建設の見直しを申し入れても、それまでは、工事は進むばかりだった。それが、林道が通ることになっている西目屋村のずっと西側、赤石川流域で大きく動いたのだ。

青秋林道は白神山地中心部のブナの伐採をもくろんで計画されたもので、着工は1982年。秋田側の地元・八森町の当時の議会議事録によれば、八森町長は「資源の伐採、利用につきましては、青森側の木材であっても秋田に近いとすれば、その資源はこちらの方に持ってこれる。状況によって利用できることをご理解いただきたい」と建設推進を訴えていた。秋田側の八森町が、青森側に広がるブナ林を求めていたことがよく分かる。

そして、赤石川流域住民が林道反対に立ち上がるきっかけになる「事件」が起きる。拡大地図をよく見ていただきたい。青秋林道の秋田工区は当初、八森町から進んで二ツ森の南側の藤里町を通る予定になっていた。それが、青森側には何の相談もなく、赤石川源流部の青森側の鯵ケ沢町にルートが変更され、85年6月に通告されたのだった。

青森側で反対運動に取り組んでいた私たちには、秋田側の自然保護団体から何も知らされていなかった。このルート変更については、青森側の行政も"寝耳に水"だったが、秋田側では行政と自然保護団体の暗黙の了解事項になっていたのである。秋田側の自然保護団体のリーダーが自らの著書で述べている。「反対を表明して間もない五十七年六月(中略)林務部長に会うと、路線変更する、藤里には入らないようにするから、何とか林道を通させてくれないかという」(『白神山地を守るために』鎌田孝一著・白水社)。つまり、運動を立ち上げた時点で、すでに路線変更を知っていたわけである。そして、それが実現したのだった。当時、秋田側の粕毛川流域の一部を通過する予定の林道が、県境稜線を越えた青森側の赤石川に押しやられたことで、秋田側のリーダーが「私たちの運動はこれで終わった」と私に言ったのを、はっきりと覚えている。

しかし、ルート変更は青森側の運動に火をつけた。林道は、すでに秋田側から県境に達していた。87年10月、青森県が林道建設のための保安林指定解除を予告すると、私たちは、それまで訪れたこともなかった赤石川流域の集落を、一つひとつ駆け回って訴えた。

「二ツ森の北側、青森側は雪が少ないとか地盤がいいとか(秋田側は)言うが、そんなことはない。南アルプスのスーパー林道なんて、2年でだめになった。白神はマタギ以外に入れないような深い山だ。日本一、世界一のブナ原生林だ。秋田県は、自分のところで切る木がなくなったから青森の木を切ろうとしているんだ。役所は地元の振興って言うけれど、どうやってここから青秋林道まで行くの? 赤石川を遡っていったって、3日はかかるよ」「林道ができてブナが伐採され、水が減ったのでは、下流に何もいいことないじゃありませんか。はじめは秋田側の藤里町を通る予定になっていたのに、自分たちの町を流れる粕毛川がだめになるからと藤里町が反対して、それでルートが青森側にまわってきたんだ」。

赤石川流域住民の反応は鋭かった。73年に開通した弘西林道(現在は県道に格上げされ観光用に「白神ライン」などと呼ばれている)によって、赤石川の環境が大きく変わったことを知っているからだ。林道開通で原生林が次々と伐採され、ハゲ山が広がった。豊かな水を誇った赤石川は、どんどん減水していったのだ。

わずか1カ月で、保安林解除に対して前代未聞の13202通の異議意見書が青森県に提出された。直接の利害関係人と目される赤石川流域に住む有権者の半数近い1024通もその中には入っている。12月はじめ、当時の北村正哉青森県知事は、青森側の住民運動を受けて「林道にメリットなし」という理由で「見直し」を発表したのだった。

このあたりの事情を取材し、青秋林道はなぜ止まったのかを、平易な文章でまとめた著作に『白神山地―森は蘇るか』(佐藤昌明著・緑風出版)がある。著者は新聞記者であり、着工当時から青秋林道を担当して推移を見守ってきた。白神山地の世界遺産登録が青秋林道建設反対運動の成果であることは、行政は認めたがらないところだが、厳然たる事実である。それではなぜ、公共事業としての林道建設が頓挫したのか、その真相が本書には書かれている。

一口で言うと、青秋林道反対の運動は「森を返せ」「水を返せ」という闘いだった。林道を止めたのは、森とともに生きてきた人々の声であり、力だったのだ。ところが世界遺産に指定されるや、そういうことは切り離してしまって、降ってわいたように「入山規制」が語られるようになった。

いったいどうしたことだろう。先年、青秋林道建設反対運動の事実を捏造した話が、NHKテレビの人気番組で全国放送されたことがあった。抗議が殺到して、テレビ局は非を認めている。過去にも、小学生の社会科教科書で、青秋林道反対運動の記述が秋田側に偏っていることに、青森側の保護団体が出版社に抗議した例もある。どうして正しい意見や真相が隠蔽されるのか、不思議な気もするが、そこには、情報提供者の何らかの思惑が絡んでいるように思えてならない。



[地図キャプション]
遺産地域内には、秋田側に粕毛川、青森側に大川(岩木川)、赤石川、追良瀬川、笹内川などが刻まれている。この5つの流域の中で、自然環境が良好なのは赤石川と追良瀬川、ついで岩木川、その次が粕毛川と笹内川だろう。粕毛川は鉱山があったところで、流域のブナ林は燃料用として伐採され、二次林になっている。

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